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ユキヒョウのすむ地で暮らす人びと

この記事のポイント
WWFが西ヒマラヤで行っているユキヒョウ保全プロジェクトは、地域に住む人びとと野生動物の持続可能な共生を目指すものです。富士山ほどの標高の地・ラダックには、放牧を中心とした生活を送っている住民が多くいます。 2023年9月にフィールドを訪問し、活動の進捗を視察しました。
目次

ユキヒョウと地域住民の複雑な関係

野生生物と家畜の数を調べる

野生生物の保全や野生生物と人との衝突の解消を目指す上で、対象となる生きものの現状を知ることは不可欠です。

世界に4,000頭ほどしかいないユキヒョウのうち、400~700頭がインドに生息していると言われていますが、実は正確な頭数はわかっていません。

ユキヒョウの主要な獲物であるバーラルやアルガリなどの有蹄類(蹄を持つ草食動物)も、開発や密猟によって数を減らしていると考えられていますが、その生息状況は把握できていません。

また、地域住民の重要な財産であり、時にユキヒョウが獲物とすることであつれきの原因になる家畜の数についても確かなデータはありません。

そこで、WWFのフィールドスタッフは、活動を行なっているヒマラヤ山脈の西部、ラダックのハンレ地域で、居住する人びとの家を一軒一軒まわり 、飼育しているヒツジやヤギの頭数を調べる人口調査ならぬ“「家畜口調査」”を行ないました。

併せて、この地域の人びとが放牧地などの自然環境をどの様に利用しているのか、野生生物についてどのように考えているのかについての意識調査も行ないました。

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ハンレ地域で飼育されているヤギ (地元では、パシュミナヤギと呼ばれます)。地域の人びとの貴重な財産で、その毛は高級な毛織物の原材料となります。ヤギだけでは、冬の寒さで凍死してしまうため、ヒツジも一緒に飼育されています。もちろんヒツジも羊毛や食肉を得るためのたいせつな家畜です。

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2022年7月から12月にかけて行なったこの調査の結果、主要な家畜であるヤギとヒツジ、その他ヤク、ウシとウマの飼育頭数を把握することができました。そして、意識調査を行なった住民のうち、3割以上がユキヒョウやオオカミの襲撃によって家畜を失った経験があることが明らかになりました。

たいへん興味深かったのは、このような状況でありながら放牧を生業とする人びとの半数はユキヒョウを保全すべき考えていること、さらに7割以上の人びとが宗教上の理由からユキヒョウが健康で幸福であって欲しいと答えたことでした。

チベット仏教の教えに生きるハンレの人びとにとって、ユキヒョウは家畜を襲う脅威であると同時に信仰上の大切な存在であるという複雑な関係であることが示されました。

変わるチャンパの暮らし

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太陽光発電で駆動するフォックスライト。回転する様々な色の光を発します。50台ほどをラダックの放牧を行う世帯に配布し、その効果を検証しています。

今回の視察で、地元の言葉で「チャンパ」と呼ばれる遊牧または半遊牧生活をおくる数人の方に、お話を伺うことができました。

オオカミやユキヒョウなどの肉食動物に家畜を襲われることを防ぐため、WWFが光で野生動物を追い払うフォックスライトやフラッシュライトを提供し、その効果検証に協力をしてくれている人びとです。

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女性は、家畜が死亡した際にその日付、頭数と病死や野生動物の襲撃などの理由を記録したノートを見せてくれました。

チャンパのひとり、ハンレの60代女性は、数十頭のヤギとヒツジを飼育しています。夜間用の家畜の囲いのそばに張ったテントが彼女の住まいです。陽が傾くと9月でも外気温は一桁になるため、風が冷たく感じられますが、テントの中央に設置された家畜のフンを燃料とするストーブのお蔭で中はとても暖かです。そして、WWFのスタッフにも、美味しいお茶を振舞ってくれました。

以前、チャンパは、家族全員で家畜の世話や家事を分担し、季節ごとに移動しながら暮らしていました。しかし、近年は、観光、道路建設や軍事関係の職に就く人が増えています。

この女性の場合、夫は集落にある家から仕事に通い、彼女が一人で家畜の世話も自身の身の回りのことも行なっています。放牧地を移動する時は、夫が来て手伝ってくれるそうです。子どもたちは、すべて独立し、別の仕事を持っていると語ってくれました。

最高気温も氷点下となる冬の寒さと年間を通じて強い紫外線の降り注ぐラダックでの遊牧生活は、とても厳しいものです。子どもへ十分な教育機会を与えたいという親の想いもあり、家族で街へ移る人もいます。

一見、自由気ままに見えるチャンパの暮らしには、集落(コミュニティ)の結束が不可欠です。コミュニティの人びとが共同で利用するか家畜用の囲いは、共同で作ります。遊牧生活を送る人が減ったり、高齢化したりすることでこうした共同作業も難しくなります。

チャンパのありようが大きく様変わりする中、持続可能な放牧地の利用と野生動物との共生は、大きな課題です。

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夜間、放牧していた家畜を納めるコラル(囲い)。名前の通り、通常天井はない囲いですが、肉食動物の襲撃から家畜を守るために、天井を設置し、ドアも強化してあります。資材の一部をWWFが提供し、コミュニティの人びとがつくりました。

真の「エコ」ツーリズムをめざして

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建設中の観光施設。

新型コロナウイルスパンデミックによる旅行自粛の声も聞かれなくなり、世界的に国内外へ旅する人が増えています。ラダックへもインド国内や欧州を中心に多くの人びとがやって来ます。こうした需要に応えるため、ラダック最大の町レーでも、あちこちで宿泊施設や商業施設の建設が行なわれていました。

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ハンレで人気の高いホームステイのオーナー。毎食たいへん美味しい料理を作ってくれました。

WWFのプロジェクトでは、地域住民が経営するエコカフェやエコホームステイの支援も行なっています。これらは、いずれも小規模なもので、地元の料理、生活習慣、自然環境や野生生物を観光客に知ってもらう機会を提供します。そして、地域住民は、野生動物と共存することや豊かな自然を守ることが、観光業での収入という直接的なメリットとなります。

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ハンレの近郊で出会ったワシミミズク(Bubo Bubo)。こうした大型の猛禽類の存在は、その獲物となる小動物が豊富にいることを物語っています。

地元ガイドが案内する野生動物ツアーでは、チベットノロバ、マーモットやオグロヅルなどを見ることができます。しかし、まだガイドの認証制度などはないため、スキルにばらつきがあります。視察中、一台のツアーの自動車が、野生動物に過剰に近づく場面も見られました。今後、ガイドのため適切なルール作りも検討する必要があります。

活動を推進する若い力

今回の視察で特に印象的だったのが、フィールドチームに新たに加わった若いスタッフの積極的な姿勢でした。

その一人が、ハンレを拠点に活動に取り組む、WWFインドのスタッフ、パドマ・ドルカーです。

インド亜大陸には数百の民族と言語があると言われています。ラダックでもラダック語やウルドゥ語など複数の言語が話されています。若者や観光業などに就く人びとには、インドの公用語であるヒンディー語や英語を話す人もいますが、地方のコミュニティで関係を構築するには、現地の言葉を通じたコミュニケーションが欠かせません。

さらに、コミュニティの人びとと信頼関係を築くには、言語が話せるだけは不充分です。 相手の状況や考えを理解し、必要な行動を起こそうと思わせる高いコミュニケーション能力が必要とされるためです。パドマはそんな高いスキルを持ったコミュニティ担当スタッフです。

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ラムサール条約の登録湿地のひとつであるソカー(ツォカール)のチャンパの男性は、遠景の山の斜面にいる500頭を超えるヤギとヒツジを所有しています。2週間ほどでコミュニティの33世帯全員が次の放牧地へ移るそうです。パドマの通訳で話しを聞きました。

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有蹄類のチベットガゼル(Procapra picticaudata)。おしりの白いハート型が特徴です。ユキヒョウなどの肉食動物の重要な獲物でもあります。

また、野生生物の保全活動を行なうには、生物学的な知識も不可欠です。同じくWWFインドの若手スタッフの一人、 プリート・シャルマは、ユキヒョウなど肉食動物及びその獲物となる有蹄類の生息状況の調査の中心的な役割を担っています。

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フィールドチームのメンバーと。日本からの支援があったことで活動を拡大することができた、という声を聞くことができました。

科学的に信頼性の高い結果を得るため、綿密な調査設計はもちろん、調査に参加してくれる地域住民へのトレーニングや厳しい気候と岩だらけの山岳地帯で活動するための装備の準備も行なう必要があります。

他にも、次世代を担う学生たちへの普及啓発を担当するスタッフや地域主導の持続可能な観光のモデル作りを担当するスタッフが加わり、本プロジェクトを推進する大きな力となっています。

気候変動、不安定な社会情勢、加速する観光開発や地域住民の生活スタイルの変容など、ユキヒョウをはじめとする野生動物を取り巻く環境は大きく変わっています。

その変化へ適切に対応しながら、地域の人びとが主体となって、人と野生動物が共に利用する土地の持続可能な利用が行なわれるように、WWFはこれからも国境を越えた支援を行なっていきます。

【寄付のお願い】ユキヒョウの未来のために|野生動物アドプト制度 ユキヒョウ・スポンサーズ

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